「戦乙女を……見た」
「そうか良かったな早く寝ろ」
どこか呆けたような自分の国に、フリードリヒ二世はあくびをしながらそう言った。
赤き血潮の絶えぬ間に
自分がのしあがるためなら、少々強引な口実だってなんだって使ってやる。
ついこの間まで国ではなかった青年は、わりと好戦的で、野心家で、ちょっと自信過剰な所があった。
そんな彼にとって、隣国の代替わりというのは、願ってもみないチャンスだったのだ。
しかも、新しい後継者は女性だという。
古い皇帝はあちこち手を回してはいたが、所詮はただの約束。約束なんて破るためにあるものだ。
この期を逃して、いつ自分は大きくなるのだ。
精悍な顔つきににやりと笑顔をはりつけて、そうしてプロイセンは戦乱の世に踏み出した。
「相続人が女性だからってシュレジエンを!? そんなのって、そんなのってひどいです!」
金の髪を振り乱して、軍服の少女は大声で叫んだ。どこから見ても年頃の女の子だが、彼女の名はハンガリー。れっきとした国だ。
柔らかなプラチナブロンドを繊細な巻き髪にして、ドレスの女性が表情を曇らせた。
「ええ……正直うちだけでは軍事力でプロイセンに勝つ事は出来ません。どうも皆いまいち緊張感が足りないんです」
ほう、とため息をつくドレスの女性はマリアテレジア。問題の女性君主その人であった。
国の危機において、大事なところで引かないその性格は立派に人の上に立つもののそれだったが、いかんせん時代が悪すぎた。女性というそれだけで、世間はいらぬデメリットを押し付けてくる。
「けれどここでひいては国と国民に申し訳が立ちません。ハンガリー、あなたの力を貸して下さい」
真剣な目でテレジアはハンガリーの手をとった。彼女は今はオーストリアの家に居候している身だったが、昔ぶいぶい言わせていたころを完全に忘れたわけではなかった。良い馬と武器さえあれば、かつての自分に戻れる自信は十分ある。
「でも……」
戸惑いにハンガリーの目が揺らいだ。あの音楽と優雅さを愛する青年は、そんな自分を良く呆れ果てた、冷たい目で見ていた。かつて彼に反抗しきっていたころはそんな彼の態度もただ憎らしかっただけで済んだけれど、もし今あの人に嫌われたら、二度と彼の前に顔を出す自信がない。
ハンガリーは、遠慮がちに彼と自分の女王を見上げると、呟いた。
「あの、オーストリアさんは……どうしていますか」
「そ、それは……」
マリアテレジアはおし黙って、それから逡巡して、顔を赤くしてから少女の耳もとに唇をよせた。
「困っていますよ……大事なところを奪われた、と言って」
「よう、お坊ちゃん。またやられに来たのか?」
にやりと口端を上げてプロイセンが笑う。
「いいえ、やられっぱなしでは我が女王に申し訳が立たない。あなたを叩き出しに来たのですよ、プロイセン」
頬にはすり傷、腕には包帯。痛々しく怪我の跡を残すオーストリアは、それでも不敵に微笑んだ。
対するプロイセンは全身を鎧で固め、おおぶりの剣をかついでいる。怪我がどこかにあろうものなら、あんなものは着込めないだろう。いや、体調が万全だとしても、細身で長身のオーストリアにはあんな重装備は耐えられまい。
プロイセンは長い時間をかけて軍備を強化していたし、オーストリアは長い時間をかけて文化と芸術を育てていた。戦いの場においてどちらが有利かは明らかである。
「ふん。俺を見逃しては周りに対して面子が立たない、か。プライドが高すぎるのも問題だな」
「オーストリアの権威をあなたごときに貶められたくないだけです。それに、プライドのために勝てない勝負に出ているわけではありません」
つん、とあごを上げてオーストリアは高飛車に言い放った。
「どういう意味だ」
プロイセンはやや警戒した声色で言った。プロイセンは確かに強かったが、余裕で今まで戦ってきたわけではない。つい先日まで、ただの一領邦だったのだから。
オーストリアは芝居がかった仕草で後ろをふりあおいだ。どこからか、馬のひづめの音がするような気がした。
「こういう意味ですよ」
鈴のように可憐な声が、高く高く響いた。
「オーストリアさん、助けに来ました!!」
いななく軍馬。その速度はプロイセンが今まで見たどんな乗り手より早く、オーストリアとプロイセンの間に瞬く間に割って入ったその馬術は、プロイセンが今までに見たどんな使い手よりも鮮やかだった。
「ハンガリー、危ないですよ」
「オーストリアさんは下がってて下さい。まだ体調が万全じゃないんですから」
プロイセンがあっけに取られている間に、オーストリアがやれやれといった動作をしながら馬上の人物と会話を交わし、そしてすたすたと後ろにさがった。どうやら言われた通りに下がるらしい。
プロイセンははっと我に返り、そうして叫んだ。こんな事があって良いものか。
颯爽と馬に乗って現れた、その人はまだ若い女性だった。
「なっ! お前、勝負を女に任せて自分は高みの見物か!!? それのどこがオーストリアの権威だ!」
「彼女がそれを望んだんです。私は一応止めましたよ」
あっけらかんとオーストリアは言う。その女性も、一つこくんと頷いた。
「オーストリアさんの役に立てるなら、私なんだってします」
ハンガリー。確かハプスブルグ家を王に持つ、目の前の青年の部下の一人。女性だったとは知らなかった。
彼女は携えた槍をくるりと回し、プロイセンに向かって突きつけた。
「許しません。オーストリアさんの大事な……大事なところをよくもっ!!」
ふと気づけばオーストリアは適当な木陰に腰掛け、まったりティータイムとしゃれ込んでいる。正気か。
その状況におもわず目を瞠ったが、そうそう余所見もしていられない。
「遊牧民、なめんじゃないわよっ!!」
まるで小枝か何かのように、自らの身長より長いであろう鉄槍を片手で振るった。リーチが長い。プロイセンはまずその場にとどまって大剣を抜いた。
「小娘、後悔するなよ!」
後ろからのんきなオーストリアの声が聞こえる。
「ハンガリー、口調が昔に戻っていますよー」
「っ!! すみませんオーストリアさんっ!!」
亜麻色の髪がひるがえる。緑の軍服が良く似合う。耳もとに飾った花のように、彼女の顔が、赤くなる。
「ちっ!」
気に食わない。この小娘の態度も、あの貴族ぶった坊ちゃんの行動も、全部。
カン、と音を立てて槍がはじかれる。軽いが、スピードがある。リーチが長いからうかつに近づくのは命取りだ。ならば、どうする。
「しかし武器がなければ戦えまい!」
思い切り踏み込んで、一閃する。軽い手応えの後難なくプロイセンの剣は振り切られ、彼女の槍はくるくると回りながら宙を舞った。
「ははは、でしゃばったな小娘! 戦場を甘く見るからこうなるのだ!」
勝利を確信してプロイセンは笑った。ここは戦場、坊ちゃんとお嬢ちゃんのでる幕はないのだ。
「甘く見てるのはあなたの方よ」
冷たい声。ギリ、という聴きなれた摩擦音に、プロイセンの背筋が瞬時に凍った。
弓、それも至近距離。
はと顔を上げれば、ハンガリーが小型の弓に矢をつがえ、ぴたりとプロイセンの顔を狙っていた。
「お前、わざと槍を手放したな」
「あなたの剣とやりあってたら命がいくつあっても足りないわ。かといって遠くからじゃあなたの鎧が邪魔になるの」
狩人の表情でハンガリーが暗く微笑む。冷たい汗がほほを伝った。まさかまさか、こんな少女にしてやられるなどと、一体誰が思うだろう。
「何が望みだ?」
「正直言うと、このまま撃ちたいかな」
ひどく真顔でいうハンガリーに、命の危険を感じながら、プロイセンは相手を刺激しないよう一歩さがった。
「わ、わかった。今占領しているところからは撤退しよう」
「……本当ね?」
ふと彼女の腕から力が抜けたのがわかった。しめた、と心の中でガッツポーズ。
できる限り俊敏に振り返ると、そのまま後ろに向けて走りだした。これは戦略的撤退だ、戦略的撤退。断じて逃走などではない。
「ただ、以前和平交渉で承認された地域は返さん! そこの腰抜け貴族にそう伝えるんだな、ふははははは!!!」
「っ!! やっぱ撃つ!!」
残念、あんな小型な弓矢ではそう遠くまで射掛ける事は不可能だろうし、馬を走らせれば自分に追いつく事は可能だろうが、頭だけを狙うのは相当難しいはずだ。
仕方ない、今回の所は俺の負けにしておいてやる。撤退もしておいてやろう。
彼女は残りの地域も取り返そうといつかまた自分の所に来るだろうか。
それはとても、心躍る想像に思えた。
彼女はそう、どこぞの神話の乙女のように思われた。
ちょっと星空を見上げたりなんかしてロマンチックな気分になっているところでそう自分の上司に打ち明けたところ、「疲れてるんだな」と一蹴されてしまったが。
今日の出来事はちょっとばかり衝撃的だったのだ。命の危機とまで追い詰められたのも、その相手が可憐な少女だったのも。あの憎たらしい坊ちゃんの一言に頬を染め、自分には槍を向けた、あの。
「大事なところかえせ……プロイセン、許さない……」
鈴のように響く高い声でつむがれる、物騒な文言。
「む、娘!! 何でこんなところに!!」
「プロイセン、覚悟!」
振り返ればあの亜麻色の髪の少女が、なぜかフライパンを手に提げてゆらりと窓際に立っていた。フライパンは月明かりにぬらりとひかって、妙にでこぼこした表面を際立たせている。
武器も鎧もこの手になくて、自分は間抜けな星柄のパジャマで、空は星天で、目の前には怒りを隠そうともしない少女が一人。
振り上げられたその手を合図に、プロイセンは再び背中を向けて走りだした。
本日二度目の生命の危機。このはやる鼓動は虚を突かれたから?
命短し恋せよ乙女、明日の命はないものと!