陽の当たるテラスに真白のクロス。シンプルな木製のプレートに、二組のティーセットと砂時計。花瓶。
 そわそわと、こぼれる砂の量をうかがう女に、眼鏡の男がいぶかしげに聞いた。

「落ち着きませんね、ハンガリー。どうかしたのですか」
「え、いえっ……その」
 声をかけられて全身で驚き、その後かくりと肩を落とす。どことなくコミカルなその動きはとても淑女とは言いがたい。

「オーストリアさんに紅茶を入れるのが……久しぶりで」
 ちょっと緊張するんです。正直に白状して女は微笑む。艶やかというよりはむしろ茶目っ気を含んだ笑みに、男は呆れたような、ほっとしたようなため息を付いた。
「そういえば、あなたの入れたお茶を飲むのも久しぶりですね……あなたが出て行ってしまってからもう、随分と経ちましたし」


 見上げれば青空。引き伸ばしたような薄い雲が風に乗って流れていく。
 この景色のいい屋敷に、二人は昔一緒に暮らしていたことがあった。半ば強引に、使用人として連れてこられた少女とその主人。時の流れにその関係は少しずつ移り、かつての少女は今客としてカフェテーブルに腰掛ていた。
 男の方がホストであるにもかかわらず、茶を用意しているのはなぜか女の方だったが。

 まあ、元々の二人の関係と男の性格を考えると、どんな顛末があってこういった事態になったかは想像が付く。男は貴族ではあったがフェミニスト気取りの紳士ではない。えらく人を使うのに慣れているのだ。



「でも、楽しかったです。久しぶりにオーストリアさんとコンサートに行って、それから家にまで呼んでもらって」

 頂いたザッハトルテ、あとで切って来ますね。
 カップに手を出そうか出すまいかと考えているのだろう。女はテーブルの上の手を軽く持ち上げて、一瞬止まる。
 いえ、それはまだあとで。男は軽く手のひらを向けて制すと、指をあごに乗せてふいと顔を横へ向けた。

「答えを聞かないままあなたを返してしまっては、私も気分が悪いですからね」
「答え?」

 音も立てずに砂時計の最後の一粒がすべり落ちた。
 女は首を傾げて瞬いたが、とりあえずカップに手を伸ばす。一応暖めたのだけれど、冷めてしまってはいないだろうか。


 男はちらりと目線だけ戻すと、すいと細めた。それだけで迫力が出るのは、さすがというほかない。
「ハンガリー。私はコンサートのチケットと共に、曲目も送ったはずですが」
「は、はい」
 冷えた声色に、女の返事が若干震える。


「予習は?」
「作曲家の方は、音楽家の家系に生まれた人で……」
「よくわかりました」
 視線を彷徨わせながら、つめこんだらしい知識をたどたどしく口にする女に、男はぐしゃりと髪をかきまぜた。


 テーブルの花瓶に手をのばし、挿してあった花を一本抜き取る。倒した時の事を考えたのだろう水は入っておらず、男の手の中でくるくると回る。


「あの作曲家は教え子に恋をしたのですよ。その娘のために作ったのがプログラムの最後の曲です」

 花を回す手を止めて、男は女を正面から見据えた。

「年の差も身分の差もありましたから、到底叶うものではなかったのですが……」

 言いながら男は立ちあがり、テーブルの向こうに手を伸ばした。固まったまま動かない女の耳元に、可憐な花が一つ咲く。

 もう少し何かを言おうとして、男はふいにとりやめた。かわりについと背を向ける。
 一拍遅れて男の耳が赤く染まった。あれでごまかしているつもりなのだろう。



「ええ……もうまどろっこしいことはやめにしましょう。ハンガリー、バイオリンをもって来なさい。保管場所は変わっていません」
「わ、わかりました……?」

 男は背中を向けたまま言った。
 まだ状況が飲み込めていない女に、ほんの少しだけ、振り返る。



「私が自ら弾いて差し上げますから、あなたは一言ja(はい)とおっしゃい」








 まさかのプロポーズものなんだぜ。
 オーストリア・ハンガリー帝国の時はずっと墺さんちに住んでただろうから、時代背景が謎です。いつものことです。気にしない気にしない。
 上からっぽい口調なのに余裕のない墺とボケボケのハンガリさん、あと墺に冷たくてぶっきらぼうで、意地でもキャラクターの名前を出さない意地悪な地の文が書きたかったんです。満足満足。

Oct 16, 2007