そう、すっかり忘れていた。
この国に来た本当の理由、この国の重役との大事な会議。
ぽかんと開いた口がふさがらない。瞬きをするのももどかしい。
今すぐ駆け寄って揺さぶって問い詰めたいが、場所とプライドと、ついでに立場が邪魔をする。
「ああああああ、あ、あ、あいつ」
「黙って下さい場をわきまえて下さい」
開けた口からおもわず言葉を転がり落とすと、隣の部下につねられた。オランダ語を解す通訳の一人だ。
こちらには日本語を分かる人材がいなかったので、何かのたしになるかと連れてきたのだが、なかなかどうして侮れない。眼光鋭く上司の事を諌められる部下というのもそうはいまい。
「見た事ある顔がいるんだよ!! 落ち着いてなんかいられるか!」
そう小声で訴えると、部下はため息をついて言った。
「日本人は皆似たような顔で若く見えます。似てるだけの他人ですよ」
「はあ!? あんだけ一緒に……」
「だから黙ってください」
気のない返事におもわず語気を荒げたイギリスに、冷風のような切り返しで部下は答えた。
「……ああ」
一瞬ほてった顔がさめる。イギリスは小さく息をはくと、歩みよって席につく。くたりと背もたれに体重を預けた。
会議の部屋に通されたときから、イギリスの目はたった一人に釘付けだった。
上等の民族衣装に身を包んだ、まだ幼い風貌の黒髪の少年。大きな黒い瞳は物憂げに伏せられ、青くゆったりとした袖が口元に当てられている。
彼がひとかたならぬ立場の人間である事は明らかである。あまり広くはないテーブルの、少ない椅子のひとつに腰掛ているのだから。
「お前、なんで……」
ただの通訳、と言う事はありえない。こそりと呟くように声をかけて見るが、少年はといえばすっと視線を上げて不思議そうに目を細めるのみ。それも束の間の事で、すぐに視線をよそにずらしてうつむいてしまう。世の中の全てのことに興味がなさそうな、そんな表情だった。
「それでは、会議を始めたいと思います」
主催者の、背の低く体格の良い男性が重苦しく口を開いた。その後ろに控えている青年が、英語で同じ事を繰り返す。こちらが本物の通訳のようだ。
上座に位置する年かさの人間から順に自己紹介をし、通訳が微妙な英語ながらもなんとか訳していく。順番が例の少年にまわってきたとき、ようやくイギリスは考え事を一時打ち切った。
「 」
にこりともせずに少年は日本語だけで何事かを呟き、視線をどこかに彷徨わせたまま軽く会釈をした。
通訳がためらいながら口を開き、イギリスはにらみつけんばかりにそちらを見つめた。
「ええと……彼は、日本。 そちらにいらっしゃるイギリスさんと同じ、国です」
なんてこった。
それと全く同じ意味の言葉で、しかしひどいスラングが自然と口からこぼれ落ちた。
目の前の通訳を始め、数人の日本人、それから連れてきた部下の顔がいっせいに青ざめる。
やばい。こいつら、会議に際して勉強してきてやがる。
もしくはそういう人材ばかり集めて−−− そう、あのキクみたいな、英語のできる。
会議に支障が出るな。まだ不穏な空気のままの会場を視線だけでちらりと見回し、それから日本と名乗った少年に向き直った。
周りは浮つき、英語を解していそうなものも解していなさそうなものもどことなく微妙な表情を浮かべているなか、彼だけは全く表情を動かしていなかった。
「 」
「どうかしましたか」
「 」
「いえ、別には……しかし」
変わらぬ表情で淡々と呟き、それを通訳がこちらにも伝わるよう英語に直す。
もちろん、先ほどの暴言は訳していなかったが。
日本は少し目を細め、ほんの少しだけ声のトーンを上げた。
「ならば、なぜ会議を続けないのですか」
侮辱されたと怒っても当然の場面であったのに。イギリスは思った。
自分がこのように言われたら、とりあえず一時席を外すだろう。
彼がキクでないとしても、あまり良くない事を言われた事は明らかであるのだ。
(……もしかしてこいつ、キクじゃないのか?)
最初から彼は自分に全く興味を示していないように見える。英語を知らないふりをするにしても、スラングに対し眉ひとつ動かさずひょうひょうとしていられるものだろうか。
部下の言うとおりあの年頃の日本人は、自分達には皆同じに見えるのかもしれないし。
(ええい、まどろっこしい)
「驚いたあまり失言をしてしまったようだ、謝罪する」
イギリスは軽く片手を上げた。その動作の意図をはかりそこねたか、日本の表情は変わらない。
通訳の説明が遅れて終わり、ようやく彼は少しあごを引いて答えた。
愛らしい黒髪に、猫のように大きな瞳。読めない態度に拙い英語。青い着物の奇妙な少年。
(めいっぱい話ふっかけてやる。訳される前に反応したら、こいつは英語が分かるって事だ)
イギリスは両肘をついてあごの下で組み、相変わらずの無表情に皮肉めいた笑みを向けた。
「それでは、会議をはじめようか」
***
会議に勝ち負けがあるとしたら、まあ妥当な勝利といったところ。
そしてかけひきに勝ち負けがあるとしたら、イギリスはこれ以上ない敗北を喫したと言えるだろう。
「もう、イギリスさん!! なんなんですかあの態度は……」
会議室からの帰り道、イギリスの後ろを歩きながら部下がぶつくさと文句を言った。
どうやら、会議中のイギリスの事が気にいらなかったらしい。
「自分と同じ国が気になるのは分かりますけど、正直あの人は会議のゲストみたいなもんなんですから、あの人と話したって何も進展しませんよ! それも探りいれるような事ばかり……」
そんな事は分かっている。部下の言葉を打ち切り、イギリスは肩をすくめて言った。
「仕方ねーだろ、日本との関係がここで終わりになるわけじゃないし、情報収集だったと思っとけ」
そんなもんですかねえ、と唇を尖らせる部下。
そんなもん、な訳あるか!! と叫び出したかったが、プライドがそうはさせない。
結局どうしたかというとつまり、イギリスは全くもって、日本の裏をかく事ができなかったのだ。
キクが彼だったかを証明する事はもちろん、英語ができるのかさえわからない。
正直言うと、表情らしきものを引き出す事すら不可能だった。
問いかければそらし、通訳を待ってようやく反応し、時折もらすイギリスの悪態には顔色一つ変えずに対処する。
重要な局面では口を出さず、というかそもそも会議の中心におらず、いくら引っ張り出そうと試みてもするりと逃げて口をつぐむ。
「あの性格、絶対年季はいってっぞ……」
国という事は、まあ少なく見積もっても数十年は生きているだろう。イギリスはげっそりとして呟いた。部下が茶化して明るく答える。
「イギリスさんのひねくれ具合といい勝負ですかね」
黙れ下っ端! 拳を振りかざしながらイギリスは勢い良く後ろを振り返った。
がこ、と拳が何かにぶつかって音を立てる。
綺麗な布に包まれた、箱のようだった。
「……なんだそれ」
聞くと、部下は首を傾げつつ答えた。
「はあ、帰りに頂いたのですが……なんでもお土産みたいです。数日で悪くなるのですぐに食べろとか言ってたので、本国への贈りものではなくわれわれへのプレゼントでしょうね」
へえ。変な事するもんだな。言って、イギリスはおもむろに風呂敷を開け始めた。
「ちょ、イギリスさん!! 帰り道ですよ意地汚い!」
「だって気になるだろ。別に歩きながら食うって訳でもないんだしいいだろ。あ、落としたら容赦しないからな……って、あああっ!!!」
「うわあおお脅かさないで下さいよイギリスさんっ!!」
つやつやと黒く光る地に鮮やかに植物が描かれた、華々しい重箱。その蓋をぱかりと開けて、イギリスは驚愕した。
「あのやろう……"またの機会"って、こういうことかよ」
重箱の中には、昨日イギリスが皿から落とした種類の団子がきっちりと詰められていた。
不思議そうに中身をみつめる部下の頭にチョップを落として意味もなく八つ当たりをする。
乱暴に蓋を閉めると、イギリスは大股でのしのしと歩き出した。解けてしまった包みをどうしようかと少々焦り、部下はイギリスに向かって大声で返す。
「もう、さっきから変ですよ!! 人に延々とちょっかい出したり、落ち込んだり怒ったり……それに何だか今にやけてますし」
「な、にやけてなんかいねえっつの!!」
随分と先を行き、唐突に振り返ったイギリスは、部下に向かってぶんぶかと大手を振って宣言した。
「早く帰るぞ! でそれからもっかい脱走して、あのひねくれものを引きずり出してやる!!」
「はあ!? っていうかなんですかその脱走って!!」
「しるか! もう、置いてくからな!!」
口調は怒っているようなのに、どうしたって口元が緩んでいるので迫力に欠ける。
もとの通りに包み直せず、とりあえず重箱を抱えていく事にした部下は、しょうがないなあと思いながらもその後を小走りで追いかける。
「俺の事が全部読まれてたのに、あいつの事がさっぱりなのが気に食わないんだよ!」
歳も性格も、考えている事すら全く持ってわからない。昨日今日で同一人物なのか確証がもてなかったぐらいだ。相当である。
しかし不思議と悪くない。イギリスはにやける口元を押さえながら、くつくつと笑いをもらした。
今度は俺が出し抜いてやる。
そのためには、もう一度といわず会わねばならまい。
ともすれば弾みそうな足取りを押さえながら、イギリスは思索を巡らせはじめた。
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