5.オーストリア宅にて
ばさり、と音を立ててホークが舞い下りた。綺麗に整頓された執務室に風と羽根と書類が舞い、オーストリアは眉をひそめた。
どうした事だろう。この頭のいい鷹がむやみに主人の妨害をするはずはないが、呼びつけた記憶もない。
「どうしたんですか、ホーク。用がない時は執務室にはいるなと……」
咎めるように声をあげるオーストリアの膝の上に、ばさりとホークは何かを落とした。誇らしげにひとつ高くいななく。
己の膝の上に落とされた物をちらりと見て、オーストリアは絶句した。
「これは、花束……? それにしてはひどいですね」
ぶっきらぼうにまとめられた真っ赤な薔薇は、どう見ても素人が四苦八苦しながらまとめたもの。それも途中から折れ、花はいくらか散り、添えられた紙はびりびりに引き裂かれてリボンは半分とれかかっている。そしてそれはどう見ても、爪のような何かによる仕業。
「ホーク、あなたがやったんですか?」
まさかと思いながらもたずねると、意外にもその賢い鳥は肯定の一声をあげる。
「なんて事を」
オーストリアは首を傾げつつ呟いた。
書簡を届ける事を任せられているホークは、猛禽類とはいえ非常に賢い上に、まずは手紙を傷つけないようにする事を仕込まれている。いざとなれば機密を守るために戦えるよう爪は鋭くおいてあるが、その気になればティーセットを無傷で運ぶ事もできるだけの賢さと繊細さを持ち合わせていると自負していたのに。
しかし、ホークはその惨状を恥じるどころかむしろ胸を張って、止まり木に座している。
「一体……」
どうしたことかと唇を尖らせたその時、廊下を駆けてくる足音が聞こえた。
綿の入った室内靴の、体重の軽い足音。確認もせずに扉に向かって声をかける。
「廊下は走るものではありませんよ、ハンガリー」
「っ! ……オーストリアさん」
扉の向こうで急ブレーキをかける音が聞こえ、それからおずおずといった様子で部屋の扉がゆっくりと開く。ちょこん、と向こうから茶金髪の少女が顔を見せた。遠慮なく走っていたようだったのに、髪ひとつ乱れていない。感心したものか呆れたものかとオーストリアはふと思った。
「急ぎの用事ですか、ハンガリー」
顔だけのぞかせて部屋になかなか入って来ないハンガリーに、オーストリアは声をかける。
ちょっぴりしょげていたハンガリーはばっと顔を上げて、とことことオーストリアのそばに歩み寄った。
「そ、そうなんですよオーストリアさん! 今更ですけど、プロイセンから手紙が来て!」
「プロイセンから?」
首を傾げて眉を跳ね上げる。戦争はとっくに始まっているし、だからといって直接的な戦いはここしばらく起こっていない。情報のやりとりをする必要を感じない。まさかお茶会の誘いでもあるまいし。
「これです」
「……正式な書簡ではありませんね……おや、ずいぶんぼろぼろじゃないですか」
赤い封蝋の白い封筒を受け取り、オーストリアは一刀両断に言った。紋章が捺してあるわけでもなければ上等の紙とも言えない。それに封が開いている。
そこを指摘するとハンガリーは目を泳がせて言った。
「はい。あの……私の所に届いちゃって、それで」
自分が開けました、とハンガリーは言った。表に返すと、宛名の部分がごっそりと持っていかれている。爪のようなものでもみくちゃにされたような、引っかき傷だ。
ため息をついてオーストリアは手紙を返した。
「それでは自分宛と間違えても仕方ありませんよ。プロイセンは何と?」
ハンガリーはこくりと首をかしげた。不可思議そうに言う。
「すごい今更なんですけれど……"俺の領土になれ"って書いてありました」
はじかれたようにオーストリアはホークを見た。ホークはそらみろ、と言った視線でこちらを見返している。
ハンガリーがオーストリアの膝の上の花束を見つけて、手紙の事など忘れて声を上げた。
「あれ、オーストリアさん、その花束どうしたんですか? ずいぶんひどい状態ですけど」
オーストリアは眼鏡をずらすふりをしながら膝の上をもう一度確認した。よくみれば見慣れた爪あとだ。
「ええ、途中で運搬事故にあったみたいです。ハンガリー、片付けて下さい。まだ綺麗な物があれば自分の部屋へ飾っても構いませんよ」
ええ、いいんですか!? 目をキラキラさせてハンガリーは言う。もとは立派な物だったらしいそれを大事そうに受け取ると、ハンガリーはそのまま小走りで自分の部屋へ戻って行った。膝の上に真紅の花弁が二、三枚残される。
「なるほど……あなたほど気の利く生き物を私は他に知りませんよ、ホーク」
それを摘み上げて仕事机の上に置く。ハンガリーの残した封筒を取り上げ、中身をあらためた。
それが自分宛でなくハンガリー宛だと言う事が分かってしまった今、良心がとがめないといえば嘘になったが、それよりも大切な事は世の中にはたくさんある。とりあえず今は敵なわけであるし、とオーストリアは一人思った。
ハンガリーがもう少し落ち着いていれば、この封筒にほんの少し薔薇の香が残っている事に気づいたろうに。オーストリアはふっと口もとを緩ませる。
真っ白な封筒の中の飾り気のない便箋には、確かにたった一言だけが添えられていた。
「"俺の領土になれ"……ねえ。私がひとかけらでも存在する限り、そんなことにはさせませんよ」
ぺらりと紙をその場に放る。くるりと回転してから地面に着くまでのその間に、手紙はホークの残像とともに掻き消えた。奪う狩猟の動作のひとつだ。
6.結果どうなったかというと