あの人にはとても子供っぽくて純粋なところがあるから、
神が好くかもわからない。
「……イギリスさん?」
逢魔が時の日暮れ時、日本はふと後ろについてきているはずの青年の事を振り返った。
踏みならされた、自然の街道。
酷く長い自らの影が、紅い夕日に照らされて深く濃く浮かび上がる。
先ほどまでは確実に二つ並んでいたその影、
しかし今はひとつしか見えない。
どこまでも続く一本道にはくっきりと茶色い線が伸びている。道に外れようはずもない。
彼は別にふらふらとどこかへ、それも断りもなく行ってしまうような無責任な人ではないし、一体どうしてしまったのだろう。
通り魔にあったのならば、自分にもそれと分かるはずだし。
まず最悪の事態を想定して却下する。それにこのあたりは大して治安も悪くない。自分と客人とを、腰に佩いた日本刀ひとつで守りきれると思うぐらいには。
ざあんと音を立てて風が通る。どこか遠くで山と風と木々が鳴る。
濃密な闇の気配。どうしようもなく空が紅い。
「ーっイギリスさんっ!」
ついあげた大声は、裏返ってまるで悲鳴のようになってしまった。
構わずにあたりを見回して、もう一度。
「イギリスさん、っイギリスさん!??」
前を向けば後ろに、振り返ればまたその後ろに何かいるのではという気味の悪い想像が押し寄せる。
自分がずっと前を先導していたのだ、これ以上先にいるという事はないだろう。日本はそう判断した。
戻らなくては、早く。
早く友人を見つけて自分の家に帰らなくては。
着物の裾をはためかせ、羽織を風に任せながら日本はもと来た道を走った。
どこからイギリスの姿は見えなかったか?
どこから会話が途切れたか?
……焦れば焦るほど混乱してくるのが自分でも分かる。ああ、こんな状態の記憶など、信用なんかできっこない。
「日本には、まだ沢山人でないモノが住まっているんだな」
「はあ。イギリスさんの家にも犬や猫はいるでしょう」
町の見物に出た帰り、満足そうな(彼自身それを表にだしているつもりはないだろうが)イギリスはそういいながら、首の後ろに手を回した。くしゃりと自らの金髪をいじくり、褒めてねえぞ調子にのんなよ、とお決まりの悪態を口にして。
「そうじゃなくて、山の上飛んでる烏の親玉みたいな奴等とかだよ。あと沼人みたいな皿乗せたやつとか、動く市松人形とか」
「烏の親玉、ですか?」
きょとんと返した自分に、ほらあれだよとイギリスは遥か遠くを指差した。
その時はまだ青空だった。青に薄くかかった雲と、金の髪がやたらにきらめいていたのが残っている。
「お前の家にも沢山いるだろ? いいよな、俺のところは大型のやつらが多い上に結構出不精でさ。わざわざ森に出向かないと会えないの、沢山いるんだ」
「イギリスさんの家の庭は結構広いではありませんか」
「んー、まあな。でも自然を表す英国式庭園と言っても結局は人工だ。妖精とかには十分らしいが、木精や水精には合わないらしい」
木精? ほら、ドライアドとかそういうやつら。
「神、ですか?」
首をかしげた自分に、イギリスはぎょっとしたように首を振った。
「違う違う、神は一人だ。妖精や精霊はそれこそ星の数のようにいる」
そうですか。そうして自分はこう言い返したのだった。
「けれど日本にはすべてのものには神が宿るという考えがあって、八百万の神々と言うのですよ」
神。優しく暖かくもあれば厳しくもあり、時として怪異も起こすその存在。
その圧倒的な力で、酷く気にいらないものや、逆に心底気に入ったものを取ってしまう事がある。
「神、隠し」
呆然と呟いた。自然と駆け戻っていた足が止まる。
先ほど会話をしながら通り過ぎた箇所は、もうとうに過ぎていた。
イギリスの姿は、見えない。
「……俺達は、自分達の宗教以外は低俗な物とみなしている」
「ええ、存じています」
もしも彼が何かの怒りに触れてしまっていたとしたら?
「だから、その神々と言う言葉ではお前の言う言葉は理解できないんだが……」
「なんでしょう?」
「木々や泉の意思がある、というのはスピリットとしてなら理解できる。俺も実際見るからな」
もしも彼が、何かとても強いものを魅了してしまっていたとしたら。
隠し神が欲しがるかも、わからない。
「そんなのって、ないですよ」
闇がひたひたと迫ってくる。
「そんなのって、ないです」
紅の光さえ、西の端に沈もうとしている。
「私は、許しませんよ」
日本はもう一度袖で風を切って振り向くと、一本道を外れて走り出した。
「許しませんとも」
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