日本に渡って、その国に挨拶して来い、と司令を受けた。


「なんで辺境の世界の果ての、しかもちっさな島国に俺が自分から出向かなきゃなんねーんだよ」

 ちっ、と誰にも聞かれないように舌打ちを一つ。
 自分も島国といえば島国だったが、この場合は話が違う。

 異教徒の、しかもモンゴロイドなんかをどうしてマトモに相手しなければならないんだ。
 中国に行く用事のついででもなければ、部下に任せてばっくれていただろう。

「大体、ここまでくるのにどんだけかかると思ってるんだ。俺をこんなところに寄越す余裕があるんだったら、その分暇くれっつの。いい加減庭造りてーんだけど」

 与えられた広めの一室。いくらふわふわにベッドを作っていても、船が揺れればそんなに居心地の良いものではなくなる。嵐の日など最悪だ。もう脳髄から右に左に揺られ続けて三ヶ月も経つ。

「それにしてもムカつくのは日本のやつら!! 外人嫌いなのは知ってたが下船許可もださねえたあ良い根性してんじゃねーか」
 寝転んだまま手を一本上に上げる。壁に取り付けたオイルランプがゆらりと揺れる。
 そう、自分達の船はもう港に着いていた。
 港に着けば陸におりて、大して面白くもないだろうがこの異国の地を見て回る事ができると思っていた。

 のに、だ。

「少々ご辛抱下さい、だあ!? 上からの許可が下りるまではしばしお待ちを、だとふざけるなっ!! もうこんな弱小国、攻め落として無理やりにでも言うこと聞かせてやりゃ良いのに、調子に乗りやがって!!」

 塩にやられた喉、その痛みも無視して声を張る。喚いて騒ぎたい気分だった。会議は明日。まあ避けられないその日まではこちらの顔も見たくない、と言う事なのだろう。
 まあ、突然わいて出た仕事の責任のたらい回しと、それにやたら時間をとられる、といった現象は自分の国でも思い当たる節が無いわけでもないが……そんな事を考えてやる必要はない。とりあえず、この狭苦しい船に押し込められているのが気に食わないのだ。それはもう、海の不良だのヤンキーだの言われ続けた自分でも。


「よし、ならば脱走だ」



 ポツリ、と呟いてみる。

 なかなか良さそうな提案に思えた。

 ガバリと軍服を着込んだ上半身を起こし、そのまま腕の力で飛び降りる。
 窓を開けた。丁度良い具合に自分の部屋の窓は陸地側にひらいている。
 港までの距離は三メートルといったところ。上から飛びおりるのだし、まあなんとかなるだろう。

 あとで後悔するのだが、帰りの事は何も考えていなかった。
 何も持たずに身一つで、イギリスは窓から飛びだした。




***

 高いところは嫌いではない。まあ若さゆえのやんちゃもあって、其処から飛び降りたりするのも慣れている。
 だが、あいにくと自分に翼はないので、空中での方向転換という荒業は、ちょっと専門外だった。

 ようするに、だ。


 あまり着地点を気にしないで飛び出したところ、ぽかんと口を開いた青い衣のガキがそこにつったっていた。


「 WATCH OUT!!! (き を つ け ろ) 」



 英語で言ったのも悪かったのだろう。状況は見えているようだったが立ちすくんだか何だかしたのか逃げなかったガキは、まあ、その、何だ。

 顔面飛び蹴りだけは避けられたのだ。その部分だけで良しとしてもらおうじゃないか。


「いったたたた……ああ、びっくりした」

 思いきり下敷きにされたそのガキは、妙な青い民族衣装を見につけていた。中国のやつが着ていたのとも異なる、やたら直線的なデザイン。ボタンはないらしく、色の違う帯とカーディガンのようなものが唯一の飾りといえばそんなようなものだった。
 そいつは真っ直ぐでさらさらした黒髪をしていて、まあ黄色人種の肌の色をしていたが、なんというかちょっと青ざめて不健康そうだった。まるで長いこと日に当たってないような。

「異国人……ええと、アメリカン、でしょうか」
 大きな目がこちらをみつめてぱちりと瞬いて呟く。あまりにも黒目が大きいから、零れ落ちそうだ、というアホな感想を抱いてしまう。

 アメリカンという言葉しかイギリスには聞き取れなかったが、噛み付くにはそれで十分だった。
 地面に転がったままのガキの頭の、その横の地面を大きな音を立てて打ち付けた。すっと瞳孔を引いたその顔を思い切りのぞきこんで、できるだけ凄んで見せる。
「イギリス人、だ。二度と間違えるな」

「ああ、ええと…… Understand(理解)」
 泣かせるかびびらせようと思っていたのに、黒髪のガキはきょとんと一瞬目を丸くし、それから首を傾げて、言葉を一つひねり出した。英語。
 今度はイギリスが目を丸くする番だった。こんな、今まで外と交流の無かったはずの国の、13,4にしか見えないがきんちょが自分の国の言葉を口にするなんて。

 うろたえるこちらの心中を察したか、そいつはふわりと口もとをほころばせた。
「Translator(通訳が)」
 ていねいに人の手が入った立派な庭の、可憐な花が咲くような。

「teached me English(英語を 教えてくれました)」

 やたら平坦なアクセントの、ぎこちない英語が右から左に通り抜ける。
(……女みたいな笑い方、しやがる)

 誰かがそれを指摘しても、イギリスがその時その笑顔に見とれていたとは断固として認めようとはしなかっただろう。




***

 あの、そろそろどいてくれません? というニュアンスの事を英語で精一杯に訴えられるまで、イギリスは相手を下敷きにしたままぼんやりしていた。

「もし、怪我、あります? 私、できる限り、受け止めたはず、ですが」
 こちらを見る目に焦りが混じる。それを認めて、イギリスはできるだけ早く飛びのいた。
「いや、全く! ……今お前、受け止めたって言ったか?」
 パタパタと自らの服のほこりを払いながらイギリスは片眉を跳ね上げた。
 よっこらしょと続いて立ち上がった相手は、なんでもないように"ええ"と頷いた。

 イギリスは相手を観察した。衣服はあちこち乱れて汚れてしまっているものの、背中を打ちつけて呼吸困難だとか、肋骨が二三本折れましたとかそんなことになってるようには見えない。……上からいきなり降って来た、大の男に不意を撃って踏み潰されたようには、とても。

「腕だけで止める、不可能。思って……スピード、殺そうと」

 けろっとした顔で言い放つ。相変わらずの片言英語が聞き苦しいので、適当に頭で変換することにした。

「けれど思ったよりあなたの足が長かったので、下敷きになってしまいました」
 やれやれと呆れたように肩をすくめて、まるで老人のように肩に手を当てて顔をしかめる。
 "ああ、大儀だった" というような調子で何か自分にはわからない言語を呟く。
 まるでホビットの大人のようだ。イギリスは思った。
 見た目はまるで子供なのに、中身はすっかり老成してしまっている。

 ほら、大きな目を向けて不機嫌そうな顔を作る。これは説教の前触れだ、イギリスは思った。
「という事は、あなた英国の商船の組員でしょう。下船の許可は出てないときいていましたよ」
 ふんとはなをならして上目遣いににらみあげる。虹彩まですべて黒目になってしまったような、エキゾチックな瞳。ちょっと低い鼻と薄い唇。正直言うと可愛らしい顔立ちである。それに何より気になるのが、コイツの、

 不器用な、しかし英語。



 実際船を下りてどうしようかと決めていたわけではない。このままコイツを振りきって逃げれば、訳のわからない言語ばかりを喋るやつらのなかに飛び込むことになるだろう。
 まあ、案内人としては上等なのではなかろうか。

「よしお前、特別に俺を案内させてやる」
「……は? 御自分の船はそこですよ」

 まだほこりだらけの腕を取る。一瞬体をこわばらせて、それから諦めたようにため息を付いた。
「まあ……あなた一人でうろつかれても困ります。監視と言うことで良ければ」
「ガキがナマ言ってんじゃねえよ! ちゃんと飯食ってんのか、そんなひょろっちくて」
 確かに彼の腕は驚くほど細かった。腕の肘に近いあたりを持ったにもかかわらずあっさりと指が届く。
 それに気付いたのか、憮然とした表情でイギリスをにらんだ。

「ガキとは失礼な。これでもあなたより長く生きてますよ」
 ふん、と鼻をならした。東洋人は実年齢よりも若く見えるとは言う。しかし、どうあったところで自分より年上という事はないだろう。自分は国で、何代もの王といくつもの戦争を見送ってきた、国そのものなのだから。
「さあ、どうだろうな……お前、いくつだ?」
 思いきり小馬鹿にした口調で言うと、さらりと答えが帰って来た。
「52」


「嘘だろ!!」
「嘘ですよ」
 豊かな黒髪に、白く細やかな肌。ぼうっきれのように細い手足に読めない表情。
 反射的に叫んだイギリスにくすりとほほ笑み、彼はそうやって年の話をごまかした。